読書感想「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」近田春夫(2021年/文藝春秋)
「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」は、筒美京平研究の第一人者といえる近田春夫による本だ。
筒美京平 大ヒットメーカーの秘密(近田春夫/2021年/文藝春秋)
「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」には、2020年に亡くなった作曲家・筒美京平について音楽家・実弟・歌手のインタビューが掲載されている。
作曲家・筒美京平とは
筒美京平は、70年代・80年代を中心に数々のヒット曲を生み出した作曲家である。
この本「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」の著者である近田春夫は、当時から筒美京平と親交があり、そして筒美京平の曲の素晴らしさを世に広めてきた。
筒美京平が作った数々のヒット曲を思い起こすとともに、筒美京平の人となりが伝わってくる良書だ。
※登場人物は敬称略
筒美京平:一貫して「匿名の人」
筒美京平は、代表曲をひとつあげるのが難しいほど多数の名曲を生み出してきた人である。
ところが、当時から筒美京平は、その私生活を明かさないことで有名だった。
阿久悠や都倉俊一などの作詞・作曲家はテレビ番組などに登場することが多かったが、筒美京平だけは公に姿を現すことはほとんどなかった。
テレビやラジオの番組はもちろんのこと、新聞や雑誌などでも筒美京平が登場することは皆無だったと思う。
だから、当時から「筒美京平とはどんな人なのか」私は興味があった。
この本にも幼少時の筒美京平の写真は掲載されているが、成人したのちの写真は一枚も掲載されていない。
筒美京平は一貫して匿名の人である。
この本で著者である近田春夫が述べているように、同時期に活躍した都倉俊一という人は今では文化庁長官であり、文化功労者に選ばれているのに対して、筒美京平という人は、実績の面では都倉俊一を上回る著名な楽曲を次々に生み出してきたのにも関わらず、表に出るのを好まず、一貫して「謎の人」だったというところに惹かれる。
この本でも書かれているが、筒美京平という人は、俗っぽいこと・芸能界のような派手な世界を好まない人だった。
この清廉さこそ、作曲家・筒美京平の魅力である。
筒美京平の生い立ち
この本には筒美京平の生い立ちについて書かれているのが興味深い。
筒美京平は1940年生まれ。小学校から大学まで青山学院に通った。
戦後まもなく私学に通っていたということからしても、とても裕福な家庭出身だと分かる。
ちなみに、幼稚園もキリスト教系の幼稚園に通っていて、幼少時から賛美歌に親しんでいたそうである。
小さい頃からピアノが好きで、朝から晩までピアノを弾いていたと実弟が語っている。やはり、音楽が好きで好きでたまらないという人が作曲家になるってことだ。
実弟いわく「手が小さいからピアニストは諦めた」そうで、YMOが登場したとき「坂本龍一さんのように藝大に行きたかった」ように見えたそうだ。
青山学院は今も昔も音楽関係の子弟が多く通っており、音楽家を多数輩出する学校である。
山手線・内側の人
筒美京平の実家は港区虎ノ門生まれで、幼少時は大蔵家(今のホテルオークラ)の庭で遊んだそうである。
有名作曲家になってからはホテルオークラの常連だったとのこと。
学校から行きつけの店まで生活圏がほぼ山手線内の、いわゆる「山手線内側の人」である。
この本を読んで筒美京平は「上品で潔癖」であり、「貧乏くさい」・「下品なこと」が嫌いな人だと感じた。
実弟によれば、新宿は嫌いでほとんど行かなかったそうである。
いわゆる「中央線文化」とは相容れない人だろう。
筒美京平の楽曲を聴いてみてほしい
著者の近田春夫によると、筒美京平は、すでに完成している歌手をプロデュースするよりも、新しい人をプロデュースするのが好きだったそうだ。
以前紹介したドラマー・村上ポンタ秀一の「自暴自伝」という本に、初めて会った時の筒美京平について「レコーディングの時にチクチクチクチク口を出してくる趣味の悪いスーツを着たチビのおっさん」と書かれている(筒美京平は当時すでに売れっ子作曲家だった)。「読書感想「自暴自伝」村上ポンタ秀一」
でも、その後は仲良くなったらしく、村上ポンタ秀一がスタジオに居るときは筒美京平は必ず会いに来てくれた、とのこと。
筒美京平はいわゆる王道の歌手(松田聖子や中森明菜、沢田研二)には曲を提供していない。平山三紀・郷ひろみ・松本伊代など、筒美京平は特徴ある鼻にかかった声が好みだったのは有名だ。
この本にはグループサウンズからアイドルまで、筒美京平が作曲した多くの楽曲が掲載されている。
筒美京平の曲をぜひ聴いてみてほしい。
わたしもこの本を読んで、筒美京平が作った曲を聴いてみたくなった。
筒美京平について(まとめ)
【読書感想】特集 追悼・筒美京平(MUSIC MAGAZINE 2020年12月号)