竹内まりやの物まねをせず「駅」を唄った中森明菜

山下達郎&ジャニーズ事務所の件で大炎上中である。

そんな中で、竹内まりやが1986年に中森明菜に提供した曲「駅」につき、過去に、山下達郎が竹内まりやのベストアルバム「Impressions」(1994年発売)のライナーノーツで女性歌手(名指ししていないが明らかに中森明菜のこと)の楽曲解釈について批判していたことが蒸し返されて燃料投下になり、いまだ炎上を続けている。

要するに、山下達郎がジャニーズ事務所への忖度として中森明菜への批判を掲載したのではないか、といわれて炎上している。

個人的には、中森明菜バージョンの「駅」(中森明菜のアルバム「CRIMSON」に収録)はそれはそれで素晴らしい出来で、竹内まりやバージョンの「駅」とはまた違った魅力がある。


中森明菜のアルバム「CRIMSON」

 

当時は、ミュージシャンがアイドル歌手に楽曲を提供する場合、ミュージシャン自身が唄ったデモ音源(仮歌)がアイドル歌手に提供されていたことは以前も書いた。

本件についてはwikiに書かれているように、竹内まりやから中森明菜に提供された、竹内まりやが唄う「駅」のデモ音源は、そのままシングル化できるほどの素晴らしい出来栄えだったそうだ。

しかし中森明菜は、竹内まりやが唄ったデモ音源をそのまま真似て唄うことはしなかった。中森明菜は自分自身のオリジナリティーを加えて「駅」を唄い上げたのだ。

ここら辺に、若干22歳のアーチスト「中森明菜」のプロ根性が垣間見えて立派だ。

一方、思い描いていたものとは違う解釈で唄われた中森明菜の「駅」に山下達郎が釈然とせず、完成度が高い竹内まりやバージョンが世に出ないのは勿体ないので、竹内まりやがセルフカバーした「駅」が後に発表された、というのが事の顛末のようである。

 

ささやくように唄う中森明菜バージョンの「駅」

中森明菜バージョンの「駅」では、中森明菜がささやくように唄う。

家でゆったりくつろぎたいたときに聴くには、中森明菜バージョンの「駅」が向いている。

デビュー曲からしばらくは声を張り上げて唄っていた中森明菜だったが、シングル「FIN」に代表されるように、この頃には中森明菜はささやくように唄うようになっていた。

この唄い方が山下達郎の好みには合わなかったのだろう。そういえば、同じようなことを大貫妙子についても山下達郎はコメントしていたと記憶している。

一方、竹内まりやバージョンの「駅」ははっきり・きっぱりと唄い上げられていて、「仕事も家庭もお金も手に入れた勝ち組女性の唄みたいで苦手」という意見もネットで見かける。

なるほど、確かにそう言われると、竹内まりやバージョンの「駅」はそういうふうにも聞こえる。

 

もうひとつの名曲「OH NO, OH YES! 」

ところで、「駅」だけでなく「OH NO, OH YES! 」も竹内まりやバージョンと中森明菜バージョンが存在する。

 

 

こちらも竹内まりやバージョン・中森明菜バージョンそれぞれに魅力があって素敵だが、中森明菜バージョンを先に聴いてから竹内まりあバージョンを聴くと、確かに、竹内まりやバージョンは、はっきり唄い過ぎているように聞こえるのだ。