父の緩和ケアを検討したとき(前編)
今日の記事はちょっと重い題材について取り上げる。
それは「緩和ケア」について。
結論から言うと、癌を患っていた父は緩和ケアに入る間もなく、亡くなってしまった。
父が亡くなる直前まで、私たち家族は緩和ケアへの転院を模索していた。そのときの記録をここにまとめたい。
父のために緩和ケア科に関する情報をネットで調べたけれど、具体的な情報があまりなくて困った。
中野区およびその近郊に住む方でご家族の緩和ケア利用を考えている方に少しでも参考になればと思い、今回の記事を書いた次第である。
父が亡くなった経緯
私たち家族は数年前に父を亡くした。
父は入院してから約1か月半で癌で亡くなった。父が癌だと分かった時点でステージIVで多臓器転移もあり、抗がん剤治療を希望しなかったためである。
今の日本では、抗がん剤治療を選択しなかった時点で病院を出て行かなければならない。
結果、病院を退院した後、父は自宅で在宅医療を受けることになった。
けれども、在宅治療で父は癌の痛みに耐えられず、暴れて母に当たり散らす毎日だった。
今思うと、父の疼痛コントロールが十分ではなかったのだと思う。
なぜなら、第1に、在宅医療の医師が経験豊富ではなかったのだろう。在宅医療の経験豊富な医師を自分で見つければよかったのだが、とにかく父が癌と診断されてから時間がなく、在宅医療の経験が豊富な医師を見つけるのが難しく、父が入院していた病院の医師から紹介された在宅医療専門の病院に担当をお願いすることにしたのだ。
今だったら在宅医療に長い経験がある医師を見つけ出せたと思う。もう少し時間に余裕があれば、在宅医療について色々と調べることができたけれど、当時はとにかく急いで物事を決めないといけなかった。
第2に、父が入院していた病院の医師と在宅医療の医師との連携があまりうまくいっておらず、情報の共有もうまくいっていなかったのだろう。父が入院していた病院の医師はとにかく忙しく、病院に行ってもなかなかつかまらないことが多く、十分な相談ができなかった。
緩和ケアへの入院を検討する
父が日中も夜中も家で暴れるため、母が在宅で父の面倒を見るのは限界だった。このため、私たち家族は緩和ケア入院ができる病院を探すことにした。
緩和ケア入院というのは原則、癌患者で回復の見込みがない人が入院でき、病院によってはパーキンソン病患者などを受け入れている場合もあるようだ。
中野区周辺で緩和ケア入院ができる病院として、佼成病院・東京衛生病院・救世軍ブース記念病院の3つがある。
私たち家族はまず、佼成病院と東京衛生病院にコンタクトをとることにした。どちらも以前行ったことがある病院だったからだ。
緩和ケア科への入院
緩和ケア科に入院する場合、まず必要なことは以下の3つである。
1.緩和ケア担当医と面談する予約をとる
2.緩和ケア担当医と面接し、緩和ケア科への入院申込書を病院に提出する
3.入院の順番待ちをする(先着順ではなく、病状が重い人が優先して入院する)
佼成病院での面談
佼成病院は新築したばかりのピカピカの病院だった。
緩和ケア担当医は男性医師だった(注:現在の佼成病院緩和ケア科の担当医とは違う人だった)。
緩和ケア科の担当医との面接の際に聞かれたのは、いままでの病状の経緯・現在の病状・在宅医療が難しい理由・延命治療を行わない旨の確認だったと思う。
「本当に自宅で面倒を見れないのか」という点は念を押して聞かれたと思う。
佼成病院では緩和ケア科に入院する患者は毎週の会議で決定され、早く申し込んだ人が優先ではなくて、病状が重い人から優先的に入院する旨の説明があった。
いつの段階で緩和ケア科に入院できるかは本当に分からないので、緩和ケア入院を希望するならば佼成病院だけでなく他の病院も申し込んでおいたほうがいいと言われた。
面談と同時に佼成病院の緩和ケア科への入院申込書を出してきたのだが、結果として、緩和ケア科に入院することが可能だと佼成病院から連絡があったのは、面接してから約1週間後、父が亡くなった翌日だった。
※以下、緩和ケアについて(後編)に続きます。