山下達郎と中野サンプラザ

私は長年の山下達郎氏(以下敬称略)のファンである。

山下達郎のファンといっても、本当に長い人はシュガー・ベイブ時代、荻窪ロフトのライブを見に行っていた人もいるから、私などはまだひよっこのファンの部類だ。

山下達郎のコンサート、昨年(2020年)はコロナ禍のため中止になったようだ。

山下達郎officialサイトによると、2020年はオリンピック・イヤーのため会場をおさえるのが難しいため、もともと曲作りに専念するためコンサート数を絞っていたようである。

今年はどうなのだろう。

 

コンサートに行けたのはたった2回

私は長年、中野に住んでいながら、山下達郎のコンサートに行ったのはたった2回である。

そして、2回目にコンサートを観に行ってから5年以上経ってしまった。

今や、山下達郎のコンサートチケットはプラチナ・チケットとなり、入手が困難になってしまった。

山下達郎ファンにとって中野サンプラザでのコンサートは特別の意味があるのだ。

今は抽選らしいが…私はくじ運がないので、購入を申し込んでもおそらく当たらないだろう。

昔も入手が難しかったとはいえ、今ほどではなかった。

もっと若い頃に山下達郎のコンサートにもっと行っておけば良かったと今さらながら後悔している。

 

1回目

中野サンプラザでの山下達郎のコンサートに初めて行ったときは、確か、ふつうにチケットぴあ経由でチケットを購入した。その頃はまだ、ふつうに予約してふつうにコンサートチケットを購入できたのだ。

確か、学生時代の友人といっしょに観に行った。

もちろん、良いコンサートだった。

彼のコンサートは3時間みっちりあるので、聞きごたえがある。

確かに歌が上手い・CDの歌と同じだなと思った。

ただ、観客だった私はまだ若かったので、その程度の感想しかなかった。

 

2回目

2回目に中野サンプラザでの山下達郎のコンサートに行ったのは、1回目から20年近く経ってからだ。

2回目のコンサートの頃にはすっかりチケットが入手困難になっていたので、たまたまチケットを譲ってくれる人(ダフ屋ではない)から買った。

そのときのコンサートは、本当に素晴らしいもので、心が洗われた。

その頃の私は、毎日育児と仕事に追われ、育児と仕事の繰り返しで仙人のような生活をしており、音楽を聴いている暇などまったくなかった。

コンサートに行く暇など当然なく、コンサートに行ったこと自体、数年ぶりだった。

その日もこどもが寝ている間に夫に留守番を頼み、自転車で中野サンプラザに向かった。

自転車で・徒歩でコンサート会場(中野サンプラザ)に行けるのだけは中野区民の誇りである。

この日は、初期の頃の曲(「WINDY  LADY」、「ソリッド・スライダー」など)を何曲か演奏した。

これがまた、すごく良かったのだ。

久しぶりに生の演奏を聞けて、浦島太郎のような気分で舞い上がってしまった。

コンサートの良さは、聞く手の精神状態にも大きく左右されることがよくわかった。

 

中野サンプラザの解体

御承知の方は多いと思うが、今後、中野サンプラザは解体され、新しいコンサートホールが作られる。

2019年10月24日付産経新聞(中野サンプラザ、建て替えへ 区長「名前は残したい」)によれば、2024年度に中野サンプラザが解体されるとあるが、実際はどうなのだろうか。

中野サンプラザが解体される前に、もう一度、山下達郎のコンサートに行ってみたいものだ。

 

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